2001年頃から既存の弁当店を「250円弁当」専門店に転換するお店が増えました。2004年頃からは、20代、30代の若者を中心に「250円弁当」専門店をオープンするケースが増えました。
一方で、私の及ばぬところで、「低価格弁当店」が至る所に増殖しました。冷凍食品や外国産米など原価削減・粗利益率確保に走った店は、幾たびかの原料高騰の波に呑まれて淘汰されてしまったようです。
原料高騰の折でも耐え忍び、メニュー開発、新商品開発を怠わらなかったお店は現在でも高い支持を得ています。
残念ながら、この十数年の間に、私を信じられなくなった人、刀折れ、矢尽き倒産してしまった人、競合店に身売りしてしまった人、連絡がつかなくなってしまった人もいます。これもひとえに私の力不足のためです。
ある方から、「ほんとだったら、即死のところ、5年、10年延命できました。それだけで感謝してます」と言って頂いたことが何よりも私にとって唯一の救いです。