事務局通信

コンニチハ!事務局長の荒尾仁志です。

私と須田先生の縁をお話しさせていただきます。

 

須田先生と初めてお会いしたのは、私が滋賀県大津市にあるホテル紅葉の東京営業所に勤務していた時でした。私が23歳ぐらいの時でもう37年前になります。

 

当時ホテル紅葉では年に2回、須田先生の主催する商店経営指導センターのゼミがありました。参加者は各回500名ぐらい集まりました。

 

ゼミの時にはホテルの最寄り駅でもある西大津駅まで須田先生を迎えに行きました。先生は真っ青なスラックスに派手なブレザーという出で立ちで「やぁ~、ご苦労様!」と大きな声で私に挨拶してくれました。

 

私は「この人は、いったい何者なのか?」と感じたことを覚えています。なぜなら私は須田先生の偉大さなど当時は分からなかったからです。

 

セミナーが始まり参加者の方々が熱心に先生の講演を聞き入り、中には涙を流している人もいました。「この集まりはいったい何だろう」と私は感じました。

 

それから数年間、商店経営指導センターのゼミを担当しました。先生とも何回かお話をする機会も頂きました。先生はホテルの担当者にも決して偉ぶらず、「やぁ~、いつもご苦労様、暑いから大変だね」など、いつも労いの言葉を忘れない方でした。

 

私が30歳の時に、縁があって商店経営指導センターの事務局員として勤務することになり、セミナーや先生の講演会の営業などを担当していました。セミナーのパンフレットの原稿を先生に催促すると、「やぁ~、荒尾君、君も大変だね。原稿、今やってるよ。もうすぐ出来るからね」と答えてくれるのですが、なかなか期限通り出来なかったのを覚えています。そんな時、先生は「いつも掃除をしていたのよ」と先生の奥様から後から聞きました。そんな逸話も今では懐かしい思い出となりました。

 

「須田先生に会うと、何かいいことが起きそう。運と縁がもらえる」(某女性経営者)、「先生はそう言うけれど、そんなに上手くはいかないよ」と言っていた青年経営者が何度か先生の講演を聞くうちに「先生、おれ、やるよ! もう一度頑張ってみるよ」と目を輝かせる、そんな光景を私は何回も見てきました。

 

私が商店経営指導センターの社員になる時に須田先生の自宅に呼ばれ、「荒尾君、まだまだこの世の中には、大型店や競合店に怯えて、どうしたらいいか悩んでいる小さなお店がたくさんあるんだ。そんなお店の私は力になりたいと思っている。君もその力になって欲しい」と話されたことを覚えています。

 

「私のような非力な人間がそんなことができるだろうか」と思ったことも事実です。ただ、須田先生と一緒にいると何か不思議な力が湧いてくるような気がしました。そんな経営者も数多くいたと思います。

 

天国で「今、やってるよ~」と大きな声が聞こえるような気がします。

 

 

2004年、渡辺先生と共に「あきない元気塾」を立ち上げ、はや14年が経ちました。

 

今、その14年間を振り返ると、その間、商友の皆さんには、自然災害や競合店の出店、原材料高騰、その他様々な強風、暴風雨に見舞われました。

しかし、商友の皆さんは、どんなに苦しくとも、どんなに悲しくとも、前を向いて立ち上がっていきました。そういった姿を目の当たりにして、私も本当に勇気を頂きました。

 

渡辺先生の指導や、商友さん同士のサポートなどが力強い味方となって力が湧いてきたのではないかと思います。

 

「小さい店が恥ずかしいのではない。売れないことが恥ずかしいのだ」とは須田泰三先生の言葉です。大型店と比べれば拭けば飛ぶようなお店でも、日々の商いの中でお客さまに信頼され、少しでもいいものを安く売るという信念の下、皆さんが努力されているお姿が目に浮かびます。

 

今後も、渡辺先生と共に微力ではありますが、皆様のお役に立てるよう日々精進する所存です。

 

これから御縁を頂く皆様へ

 

北は青森県から南は九州熊本まで、全国各地に「あきない元気塾」の商友さんは、渡辺一紀先生の指導の下、日々「店はお客さまのためにある」の信念の下、商売をされています。

 

「儲けたい」「楽をしたい」「名誉が欲しい」などと考えるお店は、あきない元気塾のお店には1店もありません。日々、お客さまに尽くし、見返りを求めない、それがあきない元気塾のお店のポリシーなのです。

さぁ、一歩踏み出して、あなたのお店も「あきない元気塾」の仲間になりませんか。

 

心よりお待ちしております。

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